一般型気動車・キハ100系
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模型製作中 |
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キハ100系
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編 成 |
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←奥香肌峡 | キハ100 |
1973年の宮前〜奥香肌峡開通時に製造された車両。もともとこの区間は非電化で開業したため、気動車が導入されることになった。
車体は当時の普通用電車1000系と基本的に同一構造であるが、単行運転が可能な両運転台車となったことが特徴である。そのかわり定員を確保するためと、乗車時間が比較的短いということから、便洗面所の設備は省略された。2両が製造され、これにより当初は宮前〜奥香肌峡間に1日10往復が運行された。基本的に単行、平日朝ラッシュ時のみ連結運転が行われた。
宮前〜奥香肌峡は1991年に電化されているが、キハ100系は1両が残り、キハ200系2両とともに、そのまま使用された。
これは当社の危機管理策の一環であった。全線が電化された際、「なんらかの事情で送電がストップした時など、全体のトータルな安全性確保という観点から考えた場合、列車の運行を
100%電気に頼るという方法が良いのかどうか」という意見が社内から出た。
当社には既に、事業用としてディーゼル機関車が存在していたが、さらに幅を広げ、平時から他の動力方式による列車を定期的に運行することが、万一の事態への対応になると判断、こうして通常ダイヤ上において電車と共通運用で気動車を継続使用することになったわけである。
この気動車維持の方針は結果として、のち1999年に西南線が非電化で開業する際に生かされることとなった。しかしキハ100系は老朽化により西南線に引き継がれることなく、同年に廃車。ただし解体はされず、西松阪車両区で保管されている。
なお、この車両に関しては最後まで冷房改造や前照燈の増設は行われず、原型を保っていた。