優 月 鉄 道  

The days which earth people strike out into
various places of the cosmos,
Youzuki Railroad is running between the
earth and the moon with traveler's heart.

 

列車番号9375
地球発23時55分 急行 朝霧


[急行朝霧]

 僕が月面基地行きの急行を途中下車して、コロニー月見台の住人になって1年。
 一大決心して地球を出ておきながら、いざとなると弱気の虫が出てきて、結局ここで立ち止まった。せめて地球へトンボ帰りすることだけはやめようと、初めてこの駅前広場に降り、人工的な街並みを見渡したときの例えようもない不安…
 いまは、そんな街並みもいとおしく思える。
 目の前に広がるのは、夕暮れに色づくコロニーの風景。
 ここは、一歩先へ行くことができなかった者が立ち止まる、迷いの街。
 住んでみれば、決して悪いところではない。むしろ地球との適度な距離感が心地よく、また、同じように迷いを抱えて留まった人々との仲間意識も、安心できる一因だった。
 しかし同時に、いつまで居ても結局、ここから前へは進めないことも分かった。
 「帰るか」
 振り出しに戻ることにしよう。まだ自分に限界が来たとは思いたくない。しかしこのまま、ここの心地よさに浸ってしまうのも怖い。
 一旦帰って、仕切りなおしだ。

 

 駅前のベンチに座り、初めて来た頃と同じ風景を見ながら列車を待っていたが、そろそろ改札の時間だ。
 よし、と立ち上がったその時、誰かが上着の端を引っ張るのに気づいた。
 「?」
 ふと横を見ると、3,4歳くらいの小さな女の子が僕を見上げている。
 「どうしたの」
 訊ねると、すっと手をあげて街路灯の方を指差した。
 「あれ、とってほしいの」
 見ると、そのポールの途中に風船が絡まっている。そんなに高くはないので、大人ならちょっとよじ登れば充分手が届きそうではある。
 しかし、自分が乗るつもりの快速「双星」発車まで、もうあまり時間がない。
 でも、まあいいか。誰かと約束があるわけでなし。乗り遅れたら次の列車にすればいい。コロニーを離れる前に、少しくらい誰かの役に立っておきたい。
 「OK、ちょっと待ってて」
 横に乗り捨ててあった自転車を土台に、ポールに飛びつく。少しの突起を頼りに足をかけていく。実際、風船は簡単に取ることができた。
 「さあ、しっかり持って。もう離しちゃダメだよ」
 「ありがとう」
 じゃあね、と駅へ向かおうとすると、またも女の子は服のすそをつかんだ。
 「もうすこし、いっしょにいて」

 やれやれ、と思いながら、僕はその場にしゃがんで女の子の目線に降りた。
 「駅へ見送りにきたのかい?」
 コロニー月見台は地球のベッドタウン的存在でもあり、休みが明けると、ここからまた地球へ仕事に行く家族を見送る子どもたちの姿が、よく駅で見られたものだ。
 だから、この女の子もきっとそうなのだろうと思った。
 しかし、女の子は首を横に振る。
 「誰と来たの?」
 見たところ近くに家族らしき人は居ない。女の子はその質問には答えず、
 「これ、あげる」
 ポケットから取り出したものを僕の手に握らせた。
 「アズサのたからものだよ。だいじにしてね」
 にっこり微笑みながらそう言った。
 「君はアズサちゃんっていうのか。でもそんな大切なもの貰っていいのかい」
 訊ねる僕の顔を見ながら、嬉しそうにうなづく。
 「そっか、じゃあ遠慮なくいただくよ」

 

 夕暮れがあたりを染めていく中、僕は彼女の肩に手を載せ、話しかけた。
 「きみは大きくなったら、どんな夢を見るんだろうね。やっぱりここから広い宇宙へ飛び立っていくんだろうね。その時は僕みたいに、途中であきらめたりしちゃダメだぞ」
 次の瞬間、彼女は駅前広場の方へ走り出し、振り向いて手をふった。
 「もう、電車の時間だよ。じゃあねー、また来てねー」
 手を開いてみると、彼女が僕に握らせたのは、きれいなガラス玉だった。
 「アズサちゃん、ありがと…」
 顔を上げると、もうアズサちゃんの姿はどこにも見えなかった。駅前広場は結構遠くまで見渡せる広さだ。わずかな時間に、視界から消えるくらい遠ざかるのは、子どもの足ではいくらなんでも無理だろうに…
不思議に思ったが、次の瞬間、聞こえてきた発車のアナウンスに「今ならまだ間に合う」と気づき、駅へ向かって走った。

 地球までの4時間、僕はずっとそのガラス玉を、窓のところにおいてぼんやり眺めていた。列車が発車するまでの、あの女の子とのわずかな時間、あれはいったい何だったんだろう。アズサちゃんは、どこへ行ってしまったのだろう。

 

 …志なかばに故郷へ帰ろうとしたものが、列車に乗ろうとする直前、そこに小さな女の子が現れる。彼女は何かささいな頼みごとをする。例えば水溜りに落ちたハンカチを取ってとか、木の枝にひっかかった風船を取ってとか。
 無視せずその頼みをきいてやると、彼女はガラス玉をお礼にくれる。
 もしそのガラス玉の色が赤なら、故郷で頑張る道を選びなさい。
 もし青なら、いつかまた夢を叶えるため、自分を信じて旅立ちなさい…

 その都市伝説は「ガラス玉の少女」といわれ、宇宙を旅する者の間では結構、有名な話だということを知ったのは、地球へ帰ってしばらくしてからのことだった。

 

 それから、さらに2年が過ぎた今。
 メガロポリス中央駅63番線、地球発23時55分。初めて地球を離れたあの時と同じ列車。
 アズサちゃんがくれた「青い」ガラス玉が、いまも傷ひとつなく、僕の手の中で美しく輝いている。
 さあ、出発だ。

 

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[メガロポリス中央駅]

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