The days which
earth people strike out into |
列車番号7501
地球発19時50分 急行 夕凪
「あのね、お姉さん、わたし、月へ行こうと思ってるの」
メガロポリスの繁華街にある迷路街公園。彼女と私は、週に一度は仕事を終えたのちいっしょに夕食をとり、その後決まってここでひとときを過ごす。
彼女が私の職場へアルバイトとして入って以来、もう一年半近くなる。彼女は私のパートナーとして積極的に仕事を覚え、支えてくれた。ちょっとトロいけれど、そんなところもかわいくて憎めない。
そのうち、私は労をねぎらうつもりで、時々食事や飲みに誘うようになった。彼女もいつからか私のことを「お姉さん」と慕ってくれるようになり、休日も買い物に行ったり映画を見に行ったりと、今では彼女は単なる仕事仲間ではない、かけがえのない友人であった。それは一人っ子の私にとって、本当の妹が出来たみたいで嬉しかった。
「月へ?」
「うん…」
思いがけない言葉に私は驚いた。
「子供の頃からずっと思ってたの、月で暮らしてみたいって…お姉さんの会社でアルバイトしてお金もたまったし、そろそろいいかな、って思って」
そういえば、彼女の祖父は月面基地の第一次移住団の一員で、小学生の頃、一度だけ逢いに行ったって話を聞いたことがある。
「実は、もうきっぷも取ったの」
そう言って、旅行社の名前の入ったチケットホルダーを見せた。優月鉄道・急行夕凪…乗車日は1か月先になっている。
「そう…寂しくなるわね」
彼女は静かにうつむいたままだ。
「でも、もう決めたんでしょ。なら頑張って行ってらっしゃい。慣れるまでは体を壊さないように気をつけなきゃいけないけど、昔と違って、今は月へ行く列車もだいぶ安心して乗れるようになったし…まあ海外旅行も行ったことのない私が言っても、あんまり説得力ないけどね。それと、何かあったら、またメールでも送ってね。あ、夏休みがとれたら遊びに行ってもいいでしょ?」
素敵じゃない、子供の頃からの夢を大切にして、実現しようとしているなんて。それに比べると私なんか、大人になったら何になりたいかとか、そんなこといつの間にか忘れてしまったし、かといって今の仕事も悪くない、と自分を納得させることもできず、なんて中途半端なんだろう。思えば、大切なことを決めるとき、いつも「一歩前に出る勇気」が無かったような気がする。いま、目の前の彼女は私に無いものを持っている。そんな彼女をちょっとうらやましく思った。
「それでね、お姉さん、あのね…」
「あら?」
彼女が言いかけたとき、私はそのチケットホルダーを見直して気づいた」
「このきっぷ、2枚あるわよ」
怪訝そうに見ている私に、彼女はたどだとしい声で言った。
「あの…わたし、お姉さんといっしょに行けたらいいな、って思って…」
「えっ」
これまた予想もしなかった言葉に、私はただ驚くばかりで声が出なかった。
「わたし、本当はとても怖くて…一人で月になんか行って、本当に暮らしていけるのかどうか…でもお姉さんといっしょだったら、きっとどんなことがあっても怖くないから…」
そこまで言って、すぐに今度は首を横に振りながら、
「ごめんなさい、そんなの無理ですよね、ごめんなさい、勝手なこと言って…忘れてください」
あわてて彼女はきっぷを取り戻そうとする。でも、
「ちょっと…待って」
その時、フオオオーンと汽笛が響いた。
この公園の上空は、メガロポリス中央駅を発車した列車の通り道になっているのだ。
タンタン、タンタンと空間軌道をたたく車輪の音と、動力装置の轟音が近づき、明かりの漏れる窓を連ねた客車が夜空を過ぎていく。それを見送りながら私は言った。
「このきっぷ、しばらく私に預からせてくれる?」
固い表情のまま、彼女はゆっくりうなづいた。