優月鉄道管理局 |
TIME
TRIP BUS The
bus comes over from the future and runs towards the past. |
第一部
「2000年、通過します」 「1995年、通過します」 実緒梨は1年ごとに、丁寧にアナウンスを繰り返す。しかし今のところ、誰も降りない。 確か行き先は1970年と言ってたけど、どれくらい時間がかかるんだろうか? と言うか、あのロータリーの停留所を出てから、どれくらい経ったのだろう。時間をさかのぼるという未知の体験の中で、実際の経過時間という感覚が麻痺しているのを、隼人は感じた。 やがて、 “ピンポーン” 初めてボタンを押した客がいた。 「1987年、願います」 実緒梨はそう言いながら、ブザーを鳴らして晃星に合図を送る。 確認した晃星も、ビービーと2回ブザーを鳴らし、「了解」の合図を実緒梨に返した。 ややあって、バスはクラクションを鳴らしてトンネルを抜け、ほの明るい空の下、高速道らしき道を走っていた。まだ夜明け前、という感じだろうか。 やがて、パーキングエリアの中にある高速バスの停留所に入ると、「時空乗合」は18年ぶり?に停車した。 降りたのは、40代くらいの中年女性だった。運転手の晃星と少しのやり取りの後、丁寧に頭を下げると、どこへともなく去っていった。 「30分休憩いたします」 晃星はそう車内に呼びかけると、運転席を立ち、車外へ出てフロントガラスを拭き 実緒梨は車体の前方にある、降車ドアの外に立った。 せっかくなので隼人も外へ出てみた。 「発車時間までにお戻りください」 例によって、生真面目な表情で呼びかける彼女に、隼人は笑顔で「わかった」と答えた。 あらためてバスを見る。いわゆるボンネットバスほどのレトロ感ではないが、角の丸い、リベットが多用されたボディは20世紀、高度成長期の雰囲気だ。隼人が子供の頃は、こんなバスがまだ現役で走っていた。そういう意味では懐かしさも覚える。 「一応、最終目的地の時代より、少し前の時代に合わせたデザインになってるんだよ。その時点でまだ存在しなかったはずの物があると、辻褄が合わないことになって、何かとやっかいだからね」 窓を拭きながら晃星が話しかける。 「はあ」 納得はするが、そういうレベルの問題でもないような… それはそうと、本当にここは1987年なのだろうか? 隼人はサービスエリアの方へ行ってみた。時計の針は午前6時。24時間営業の食堂や売店では、長距離のトラックドライバーたちがくつろいでいる。公衆電話コーナーには、緑色のカード電話がずらりと並び、一部には行列すらできている。携帯電話はまだ無い、というか、自動車電話などのごく限られた存在に過ぎず、一般には普及していない時代だ。 売店に入る。缶コーヒーやジュースが並ぶ棚、しかしペットボトルは見当たらない。 そうだ、新聞を買ってみよう。手前のひとつを取り、ついでに缶コーヒーも一緒に差し出す。 「お客さん、これは何ですか?」 代金を受け取った店員が、怪訝そうな顔つきで隼人を見る。 「何って、千円…あっ」 あわてて、出した千円札を引っ込め、財布の中から100円玉を、製造年を見ながら慎重に3枚選んで渡しなおした。 「あぶないあぶない、この時代にはまだ、この札は出回ってないんだった。ニセ札犯か何かと誤解されないといいけど」 外のベンチに腰掛けて新聞を開く。 “いよいよ国鉄分割民営化、4月から6つの旅客会社と1つの貨物会社に…” “53年間に及ぶ南極捕鯨が終了” 出ている記事は、まぎれもない、1987年当時のものだった。 しかし、こんなことってあるのか。 ここへ来てもまだ、自分の身に起こっていることを、完全には信じられない隼人。 「発車しまーす」 実緒梨が手を振りながら呼んでいる。コーヒーを飲み干した缶をゴミ箱に捨てると、隼人はバスへ駆け戻った。 その後、1985年、1983年、1978年、そして1975年と、隼人以外の5人の乗客は、それぞれ希望する年でバスを止め、順に降りていった。 男性2人と女性3人。年齢は30代くらいから50代くらいまでと、見たところ5人の乗客に、何か共通点があるようには思えない。 自分は全く偶然だったが、正式にこのバスに乗るためには、どんな手順が必要なのだろうか? 運賃は? そもそも、過去に戻ろうとする理由は? 他の乗客たちに、いろいろ訊ねてみたいと思ったものの、なんだかそれもためらわれて、隼人はひとり静かに、戻り行く時代の風景をみつめていた。 最後、1975年に降りていったのは、40代くらいの男性だった。 彼は降りる際、晃星にこう声をかけた。 「ありがとう、これであいつを助けられるよ、本当にありがとう」 その男性は、少し泣いているようにも見えた。 「お帰りは1週間後です。お忘れにならないように」 そう言ってドアを閉め、晃星はバスを発車させる。男性は深々と頭を下げ、いつまでもバスを見送っていた。 これで、乗客は隼人だけになった。もう、このバスの終点である1970年に用がある者はいないわけだが、そこは公共交通。予定通り走らねばならない。何よりも、1970年の停留所には、未来への帰還を希望する乗客が待っているかもしれないのだから。 「終点、1970年到着です」 バスが止まると、実緒梨はそう言って降車ドアを開け、外に立った。 1970年の停留所は、都市の郊外、宅地化の波が押し寄せつつあるが、一方で森や田畑といった自然の風景も普通に見られる、そんな場所にあった。 ちょうど、都心から伸びる私鉄の途中駅からバスに乗り換えた、その終点といった趣だ。実際、隼人が乗ってきた時空乗合のすぐ近くに、地元の路線バスと思われる車両が1台停車している。しかし、運転手も乗客もいない。まだ始発前らしく、前夜から停泊しているのだろう。 隼人はバスを降りて、その田舎のバスターミナルを一周してみた。 待合室に掲げられた時計は、ここでも午前6時を指していた。どうやら、時空乗合は乗車は夜、到着は朝と決まっているようだ。 時計の横に掲げられた日めくりカレンダーを見る。 1970(昭和45)年7月1日。 青い空、緑の木々、暑い陽射し、鳴き出すセミの声… 35年前の日本の、どこででも見られた田園風景。 「なんか、懐かしい風景だなぁ」 そこは隼人が生まれ育った、小さな地方の街に似ていた。 バスはいったん時空トンネルに戻り、同じ日の、約15時間先の夜、同じ場所にやってきた。 しかし、どうやら今回は未来へ帰ろうとする乗客はいないらしい。誰も乗らないまま、バスはふたたび夜道を走り出した。 「じゃあ、これから2005年に戻りますからね」 ここから先、休憩を除いては2005年までノンストップで行く、と晃星は言った。 郊外から都心へ入る。市街地を抜ける都市高速の脇には、さまざまな広告のネオンサインがあふれる。 朝に見た、自然の山や田畑の風景は今も昔もあまり変わらないが、こういった人工のデザインを見ると、ちょうど古い映画を見たときのような感覚を覚える。書体や装飾がどことなく古めかしく、時代が感じられるなぁ、と隼人は感心していた。 そんな時、ふと何か思い出したように、実緒梨が晃星の脇に駆け寄った。 「どうした?」 「…万博を、見たいの」 「万博?」 万博…そうだ、いま走っている1970年といえば、大阪万博が開催された年だ、と隼人は思い出した。 子供の頃、父親から、パビリオンを回って集めたというスタンプ帳を見せてもらった覚えがある。 高度成長期、伸びゆく技術と輝かしい未来を高らかにうたった大阪万博は、当時の人々に大きな関心をもって受け入れられ、その熱い日々は、もはや伝説と化している。 「うーん、でも今日はまだお客さんがいるし、早く元の時代にお送りしないといけないから、また今度にしよう」 晃星は実緒梨に言い聞かせる。 「あの…俺ならいいですよ、多少遅くなっても」 どうせ帰り着く時間は一緒だ。 それより、これまでずっと、おとなしく仕事をこなしていた実緒梨が、珍しく自分の希望を言っている。多少の事なら聞いてやりたい、それで彼女が少しでも喜ぶなら、という気持ちから隼人は言った。 「お客さん、ありがとう…でもやっぱり今日はやめておこう。僕らはこのバスに乗っていれば、何度でも来られるんだから、な、実緒梨」 そう返す晃星に、ちょっと残念そうな表情を見せたような気もするが、やっぱり元のポーカーフェイスのまま、実緒梨は何も言わず、乗車ドアの後ろの自分の席に戻った。 そうしているうち、バスはまた、暗い時空トンネルに入っていた。 「どうぞ」 気がつくと実緒梨が横に立っていた。両手に乗せたキャラメルを隼人に差し出す。 「ありがとう、貰うよ」 一つを手に取り、包み紙を解いて口に入れる。何の変哲も無い、どこででも売っていそうなキャラメル。でもこれはいつの時代に作られたお菓子なんだろう…そんなことを考えながら包み紙を見ているうち、ふと思いついた。 「ねえ、ちょっと見ててよ」 隼人は実緒梨に声をかけた。 4センチ四方くらいのその小さな紙を、指先で操る隼人。不思議そうに見つめる実緒梨。 「ほら」 やがて隼人が手をひらくと、小さな折鶴が出来上がっていた。 「わあ!!」 小さな驚きの声とともに、実緒梨の表情がゆるんだ。ほんの少しだが、彼女が隼人に初めて見せた笑顔。 隼人からもらった折鶴を、晃星に見せに行く実緒梨。 「ほう、器用なもんですね」 実緒梨はまたキャラメルを持ってきた。 「あの…お兄さん、もっと作って」 「いいよ」 ちょっと恥ずかしそうに、でも楽しそうに、隼人の横に並んで座る実緒梨。 「こんな顔もするんだ…」 隼人がバスに乗って以来、ここへくるまで、ほとんど喜怒哀楽の変化を見せなかった彼女。あまりに無表情だったので、未来からやって来たという事実も考え合わせるとひょっとして、ロボットとかアンドロイドとか、そういう種類のものなんじゃないだろうかとか、実際のところ隼人はそんな想像もしていた。でも、なんだか安心した。やっぱり普通の人間の女の子だ。 そう確認できたことが、なぜか嬉しくて、隼人は楽しそうに折り紙遊びを続けた。 「お兄さんは、帰りたい時代とか、ないですか?」 しばらくして、実緒梨が尋ねてきた。 「このバスなら、好きな時代に行けるよ」 言われて、腕組みをして考える隼人。 「うーん、どうかな。あんまり思ったことないな」 小学生の頃を懐かしく思い出したり、ちょっとした失敗がいつまでも忘れられなかったり、そういったことが自分にもない訳ではない。しかし、わざわざその時代に帰ってまでどうこう、とは思わない。 「なんか、恥ずかしいんだよ、昔の話は」 「恥ずかしいの?」 「うん。なんであの時、あんな事言っちゃったんだろうとか、あんな事で友達とけんかしなくても良かったのにとか、あまり考えると本当に穴に入りたくなるくらいで。懐かしいというより、照れくさいんだよね…あ、晃星さんならきっとこういう気持ち、分かってもらえますよね」 隼人は少し大きな声になって、運転席の晃星に向かって話を振る。 「うん、そうだなぁ…そうだよなぁ…」 どこか神妙な面持ちで、前を向いたまま晃星は答えた。 「ふ―ん」 なんだか難しくてよく分からない、という雰囲気の実緒梨。 「あ、でも、好きな人ができたら、昔の雄姿を見せたい、っていうのはあるかな。これでも俺、高校生の頃は剣道に熱中して、大会でもいい線まで行ってたんだよ」 「へえ、わたしも見たいな」 と、そんな話をしていた時、 “ウ〜ウ〜” サイレンの音が後方から近づいてくる。パトカーだ。警察? 真っ暗な時空トンネルの走行中。こんなところに警察の車が現れるなんて、どういう状況だろう。 迫ってきた2台のパトカーのうち1台がバスを追い越して、いきなり前へ回り込んだ。 「わっ」 あわててブレーキを踏む晃星。 「きゃっ!!」 急ブレーキと緊張した空気に怯え、実緒梨は隼人の右腕にぎゅっとしがみついた。 「大丈夫だよ」 隼人は実緒梨の手に自分の手を重ねながら、小さな声で励ます。 停まれ、の合図をするパトカーの後ろについてバスを走らせる晃星。 そして、2台のパトカーとバスは速度を落としながら時空トンネルを出て、小高い丘の上の道で停車した。 木々の緑がやわらかい陽差しと調和して美しい。どこからか鳥のさえずりも聴こえる、そんな昼下がり。ここは何年の世界だろう。 パトカーを降りた警官がバスに乗り込んでくる。 「時空乗合、908系統車ですね」 「はい」 「時空警察です。免許証と運行許可証を拝見します」 晃星は求められるままに書類を見せる。 「今日は、乗客は2人ですか」 車内を見渡し、警官が尋ねる。 「いえ、男性1人です。女の子の方は車掌です」 「乗合バスはワンマン運転のはずでは?」 「ええ、でもうちの会社では運転手の判断で、車掌やガイドを雇って助手として乗せていいことになってます。賃金は運転手の負担で。まあ私設秘書みたいなものです。会社に確認してもらってもいいですよ」 子供の実緒梨がこうして車掌として乗っているのは、そういうことだったのか、と隼人も納得した。 そのうち、別な2人の警官が乗り込んできて車内をまわり、座席の下や荷棚を調べ始める。うち1人が、実緒梨に近寄り手を向けた。 「あなたが車掌さんですね、では乗客記録を見せてください」 実緒梨はおずおずと、鞄から小さな記録帳を差し出した。 ぱらぱらと見終わると、今度は隼人に向かって尋ねた。 「失礼ですが、どちらから?」 「2005年です。1970年の大阪万博の様子を見て、もとの時代へ帰るところです」 「1970年での滞在時間は?」 「えーと、朝着いて、夜出発で、15時間くらいだったかな」 あくまでも冷静に、疑われないようにと、精一杯の演技をしたつもりの隼人だった。 警官たちは後はもう、隼人には何も言わず、運転席の方へ歩いていった。そして何かメモを取りながら、晃星に向かって話した。 「タイムトリップ事業は、あくまでも一過性の観光目的に限定して認可されている。滞在型の旅行は認められていない。そのことはご存知ですね」 「ええ」 「このところ、一部の事業者が、過去の世界に旅行した人を、そのまましばらくその時代に置いてきて、あとで迎えに行くという違法な営業をしているという、匿名の報告が入りましてね、こうして抜き打ちで調査させてもらってます」 「そうでしたか」 「どうも失礼しました。でも違法行為のないよう、くれぐれもお願いします」 「お疲れ様です」 そして警官たちはパトカーへ戻り、そのまま去っていった。 トンネルへ戻ろうと、ハンドルを大きく切りながら晃星が言う。 「お客さん悪かったね。でも助かったよ、お客さんが飲み込みの早い人で」 「まあね」 営業マンとして、クライアントの言おうとすることを先読みする能力には自信があるつもりだ。隼人は実緒梨の方を見て、ちょっと自慢げに胸を張って見せた。実緒梨も嬉しそうに微笑んだ。 しかし、これまでに降りていった5人の乗客たちを見ていた隼人は、すでに気づいていた。このバスが、まさにあの警官が言った通りの、違法営業をしているらしいことを。気づいたからこそ、あんな芝居をしてフォローしたわけであり。 「でも、事情が分からない俺が言うのも何なんですが、つまり、こういうのって何というか、まずいんじゃないですか…ほら、よく言うじゃないですか、過去を変えるってことは、結局、未来に…」 そんなにSF小説や映画が特に好きなわけではないが、こういう物語のお約束な設定でよく聞くのが、 “過去の事象に介入してはならない” というものだ。過去を変えることは、すなわち未来を変えることにつながり、自分だけでなく、他の人々や社会の動きにまで影響を及ぼす。時には歴史を変えるようなことにもなりかねない。そして自分に都合よく過去をいじった結果は、いずれ自分に跳ね返ってくる。 運転しながら、晃星が答える。 「あんたの言いたいことはだいたい想像がつくよ。でも、もともと僕らの人生なんて、歴史なんて、曲がり角があったら右へ行くか左へ行くか。階段があったら上るか下りるか。そんな小さな、偶然の選択が連続した結果に過ぎない。そう思わないか?」 「まぁ、そうですよね」 隼人だって、今のこの姿…どこにでもいる勤め人で、数年前の転勤がきっかけで一人暮らしで、今のところ独身で…は、これまでの人生のさまざまな場面で、いろいろな選択をしてきた結果である。迷った時にもう一方の道を選んでいたら、また違った姿があったかもしれない。 だいたい、今回こうして不思議なバスの乗客となったのも、電車が人身事故で止まり、代行バスに乗るつもりが、なぜかこうなってしまった。ホテルに泊まるという選択をしていたら、ここにはいなかったかもしれない。 「自分が歴史を変えてやるんだとか、鬱陶しい奴を消したいとか、そんなのはさすがにお断りするよ。でも、過去につらい後悔をしたことがあったり、やり残してきた事にいつまでも心をさいなまれている人が、このバスに乗って少しでも楽になれるなら、それでいいじゃないかって思うのさ。神様だってそれくらい、きっと許してくれるよ」 バスは長いトンネルを抜け、ようやく2005年へと戻ってきた。 1970年の古めかしさとは違う、見慣れた夜の街の風景。 「お客さん、電車が止まってるんだろう? どうせだからあんたの家の近くまで行ってやるよ」 「すいません」 郊外のベッドタウンへ続く幹線道を走る。雨は幸い、小降りになりつつあった。 そして、住宅街の公園の横にバスは停まった。 「長々とつき合わせてしまって悪かったね」 「いえ、こちらこそ、家の近くまで送ってもらってありがとう」 運転席の晃星に礼を言い、バスのステップを降りると、今度はドアの横に立つ実緒梨の方を向いた。 「じゃあ、元気でね」 「さよなら、お兄さん」 寂しそうに実緒梨が言った。 その時、サイドブレーキをかけて晃星が運転席から降りてくると、 「ちょっとこっちへ」 と、隼人の手を取り、実緒梨には見えないバスの反対側へと引っ張っていった。 「どうしたんですか?」 「ひとつ、頼みがあるんだ」 「何でしょうか?」 「近いうちに、もう一度だけ、実緒梨につき合ってやってもらえないか?」 「あの子と?」 「あいつ、こうやって僕の仕事を手伝わせるようになって、もうすぐ1年なんだが、笑顔なんて、一度も見たことなかった。それが今日、あんたと一緒に話してるときの、楽しそうな顔。あんな嬉しそうな実緒梨を見たのは初めてだよ。 真剣な晃星の表情を見ると嫌とは言えず、隼人は小さく頷きながら答えた。 「まあ、そのくらいなら…」 このバスに乗ってしまった時、正直、最初は生きて帰ってこられないかも、という不安があった。しかしそれは杞憂だったわけで、こうして元の時代に戻ってきた。タイムマシンの技術は未来の世界で確立されている。そういう意味での心配はなさそうだ。 それに、何より隼人自身も、もう一度実緒梨の喜ぶ顔が見られるなら、それも悪くない、という気持ちのほうが強かった。 「ありがとう」 そう言って嬉しそうに手を強く握り、振り返ろうとするのを途中でやめて、晃星はさらに訊ねた。 「そうだ、名前、まだ聞いてなかったね」 「由布…由布隼人です」 「隼人君か、じゃあ、そのうちにまた、迎えに来るから」 晃星は運転席に戻り、実緒梨に声をかける。 「じゃあ、発車するぞ」 「…はい」 ステップに立って彼女が手を挙げる。 「2005年、オーライ」 バタンとドアが閉まる。 フォン、とあいさつ代わりにクラクションを鳴らし、バスは動き出した。 「さようなら」 窓を開けて顔を出し、実緒梨が手を振る。 「さようなら」 隼人も笑顔で手を振る。 やがてバスは国道へ通じる角を曲がり、見えなくなった。 不思議な余韻に浸りながら、隼人は腕時計を見た。 23時30分。雨の中を駅にたどり着いたあの時から、約1時間しか経っていなかった。 「夢でも、見てたのかな」 自分は、本当は代行バスに乗って新佐倉の駅までたどり着き、ここまで歩いて帰ってきただけなんじゃないんだろうか? ふと、そんなことを思った。 しかし次の瞬間、ポケットから出した、実緒梨と一緒に作った折鶴が、あの時間が夢ではなかったことを物語っていた。
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